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歴史と平和 その他考察

考察する時間があるのはいいことだ。


といっても、この脳は未だ様々な事象を処理できない、出来損ないではある。
すぐに眠くなる。すぐに糖分が足りなくなる。感情は相変わらずいい加減に
途切れ途切れの結果を構築する。想像は創造する為の時間は作れない。
現実に対処するしかない。資料も科学解説書も読みたい。


さて。

平和について。

歴史上一番平和だったのが、微生物が生まれたばかりの地球だったとして
それが数十億年の間続き、酸素というものが混沌とした海から生まれた。

・・・・冗談だが。

だが冗談ばかりではない、人間は生きる強さというものが常に遺伝子の最上階に
存在していたのだから、そういう遺伝子情報を求めるのが本能として、微生物に
おいてもそうだったように、かなりな意味を持つに至った。

この、よりよい遺伝子を自分の子孫に残すという本能は、人間が文明を作る上で
非常に役に立ったということだ。
発明はそれを加速する。科学であれ生物学、物理、数学、文学、体術、スポーツ・・・・
それらはよりよい遺伝子とは何かを考える上で、様々な能力として現れたのだろう。

人間が生物である限り、それらの遺伝子による優位性というものは、均等ではありえず
文化圏の違いによって、また生物学的進化の方向によっても、それらに平等の理念は
精神面のみは普及するかもしれないが、(それもあやしいが)これからも持つことが出来ない
と思われる。

そして、主に平和についての言論で、語られることが精神論に帰着するのも、その為だと
わかる。
上記のように、遺伝子が優位性を求めるのは、生命の根源であり、力、強さが社会性へと
変化した現在においては、社会での優位すらも遺伝子上の優位であるという理論への
飛躍が行われるに至って、人類は均等ではない、平等ではないことは、平和というものが
いかに現実的理論ではないかという証明にもなっている。

平和とは、したがって思想、哲学、理想、詩想、志、芸術、夢、希望などを総動員しても
力と強さを突きつけると、すぐに崩壊するものだと思う。

それが戦争だったのだ。




平和がどのように認識されるかという考察


精神論を闘わせる、というと、ここでもまた論争、闘争の歴史が顔をだす。

それほどに、人類は強さと力を求めるものだからだ。
平和について、も、そうなのだ。
ではどうしてそうなるのかについてだが。

端的にいえば、認識の違いだろうと思う。

平和教育というものが、無い社会では、法律、立法からして国の方向性が違い
宗教によっても、政治によっても、まるでその平和の認識が違うといえる。

言論の自由において、それを自由に話せるということが言論の自由という意味に
とれなければ、ここでも他国への批判に終始して、認識の違いを浮かび上がらせる
のみで、決定的な断絶しか生んでいない。

平らで 和む、ことが平和。

どこも平らにはならず、どこにも和みはないのなら、どこをお手本にするのか。
または、どこの時代を?

微生物か(笑)

つまり知恵の実が、人々を狂わせるのだろう。
でもそれがなければ、美しい世界への扉は開かれなかった。

あとは、人間が言論の自由の、本当の意味を理解することしかないように思う。
そして精神論。

精神論は、人を支配する為にあるのではない。
まあ、夢を創る為に学ぶ、ひとつの道だと思うが、そこをつっこまれても
夢は夢の形があるだろうとしかいえないので、それは多分一生わからないように
思う。


夢はいいなあ。


本当に、夢を自分の世界にしたい。
by f-as-hearts | 2014-04-04 00:00 | 徒然

タロット占い師ASのブログです。


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